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東京地方裁判所 昭和63年(ワ)8202号 判決

第一及び第二事件原告

甲野春子

右訴訟代理人弁護士

梶原和夫

古口章

石川邦子

岡慎一

伊藤重勝

坪井節子

海部幸造

渡辺孝

飯田正剛

千葉一美

楠本敏行

石橋護

津田玄児

佐々木恭三

八塩弘二

山田裕四

横田俊雄

児玉勇二

斉藤義房

若柳善朗

石井小夜子

勝木江津子

黒岩哲彦

吉峯康博

稲益和子

木下淳博

古川史高

末吉宣子

酒向徹

須納瀬学

駒宮紀美

中村覚

大沼和子

江上千恵子

羽賀千栄子

村田光男

伊藤芳朗

羽倉佐知子

湯川二郎

第一事件被告

学校法人修徳学園

右代表者理事

石渡経夫

第二事件被告

修徳高等学校校長

名取守之祐

右両名訴訟代理人弁護士

小林英明

小口隆夫

小林信明

主文

一  第一事件の原告の請求をいずれも棄却する。

二  第二事件の訴えを却下する。

三  訴訟費用は、第一及び第二事件を通じて原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一第一事件

1  (主位的請求)

第一事件被告(以下「被告学園」という。)は、原告に対し、原告が被告学園の経営する修徳高等学校(以下「修徳高校」あるいは単に「学校」ということがある。)を卒業した旨の認定をし、かつ、同高校の卒業証書を授与せよ。

(予備的請求)

被告学園は、原告が修徳高校女子部第三学年の生徒たる地位を有することを確認する。

2  被告学園は、原告に対し、一〇〇万円を支払え。

二第二事件

第二事件被告(以下「被告学校長」という。)は、原告に対し、原告が修徳高校を卒業した旨の認定をし、かつ同高校の卒業証書を授与せよ。

第二事案の概要

被告学園が経営する修徳高校に在学中(当時三年生)であった原告は、学校に無断で普通自動車運転免許を取得し、その罰としての早朝登校期間中に同校の校則に違反してパーマをかけたことなどを理由として同校から自主退学するよう勧告され(以下「本件勧告」という。)、原告及びその父親が右勧告に従い退学願を同校に提出し、受理された結果、同校の生徒の地位を失ったことについて、右勧告は、効力を有しない校則に違反したことを理由にされたもので、懲戒権行使における比例原則及び平等原則に違反し、教育的適正手続を踏んでいないから違法かつ無効であるとし、また、原告の退学の意思表示は修徳高校の詐欺に基づくものであるから取り消し、又は錯誤により無効であると主張して、原告、被告学園間の在学関係が存続していることを前提としたうえで、第一事件において、主位的に被告学園に対して、卒業認定及び卒業証書の授与を請求し、予備的に被告学園に対して、原告が修徳高校の生徒の地位を有することの確認を求め、さらに、被告学園に対し、右勧告及び卒業不認定により精神的苦痛を受けたとして不法行為及び債務不履行に基づく損害賠償を請求し、第二事件において、被告学校長に対して、卒業認定及び卒業証書の授与を請求した。

一争いのない事実

1  被告学園は住所地において修徳高校を経営する学校法人であり、被告学校長は修徳高校の学校長であり、原告は、昭和六〇年四月、右高校に入学した。

2  原告及びその父親は、昭和六三年二月二日、修徳高校に対し、同年一月三〇日付けで退学願を提出し、同年二月三日、受理された。

3  原告は、同校に対し、同年三月一八日到達の内容証明郵便で、右退学願を取り消す旨の意思表示をした。

二争点

1  本案前の争点

(一) 第二事件における被告学校長の被告適格

(二) 卒業認定請求についての司法審査の可否

2  本案における争点

(一) 本件勧告の法的性質

(二) 本件勧告の違法性の有無

(1) 自動車運転免許取得制限校則及びパーマ禁止校則の効力の有無

(2) 本件勧告の比例原則違反の有無

(3) 本件勧告の平等原則違反の有無

(4) 本件勧告の適正手続違反の有無

(三) 原告の退学の意思表示の効力

(四) 卒業認定請求権の成否

(五) 原告の損害の有無

第三本案前の争点に対する判断

一第二事件における被告学校長の被告適格について

高等学校の卒業認定に関して、学校教育法施行規則(以下「施行規則」という。)六三条の二は、校長は、生徒の高等学校の全課程の修了を認めるに当たっては、高等学校学習指導要領の定めるところにより、八〇単位以上を修得した者についてこれを行わなければならない旨規定し、また、同規則二八条は、校長は、小学校の全課程を修了したと認めた者には卒業証書を授与しなければならない旨規定し、同規則六五条は同規則二八条を高等学校に準用しているのであるが、私立の学校法人が経営する高校と同校の生徒の法律関係は、法技術的には権利能力の主体である当該学校法人と生徒間の法律関係として処理すれば足り、その法人の決定機関を独立の訴訟の当事者として訴える必要はない。

したがって、本件の卒業認定請求及び卒業証書授与請求は、権利能力を有する被告学園のみを被告とすれば足り、被告学校長は被告適格を欠き、本件第二事件の訴えは不適法である。

二卒業認定請求についての司法審査の可否について

1  被告学園の主張

修徳高校は、その教育方針に従い、生徒に対し、学習指導、特別活動指導、訓育指導を行い、その成果が実現された場合に、施行規則二七条及び同規則六五条並びに修徳高校学則一六条(同条は全学年の卒業は所定の学科単位数を修得したほか、操行及び学業成績を評価して、学校長が学年末に認定する旨規定している。)に基づき卒業認定をしているが、学習活動について、その成果が実現し単位を認定し得るか否かの判断は、生徒の平素の成績の評価という教育上の見地からする専門的な価値判断であるし、特別教育活動は、学習指導要領に示されているとおり、生徒の自発的な活動を通し個性の伸長をはかり、民主的な生活のあり方を身につけ、社会人としての望ましい態度を養うことを目標とするが、それらの成果が目標からみて満足できると認められるか否かの判断も、生徒の平素の生活態度等をもとにした教育上の専門的な判断によらざるを得ず、訓育指導についても、修徳高校の建学の精神、教育方針に従い、同校の卒業生としてふさわしい訓育指導の成果が実現したか否かにつき、教育上の専門的な判断をせざるを得ない。

以上のとおりであるから、原告の卒業認定は教育機関たる修徳高校の最終的判断に委ねられるべきものであり、右卒業認定の請求は、司法審査の対象とならず、したがって、不適法な訴えとして却下されるべきである。

2  原告の反論

私学における在学関係は、教育法による規制を受ける契約関係であり、その契約関係の内容は、第一に当事者間の意思表示によって決定されるところ、本件においては、修徳高校学則一七条によって同校所定の全課程を修了したと認めた者には卒業証書を授与する旨規定されているから、原告が卒業認定に必要な一定の要件を充足した場合には、被告学園は、原告に対し、卒業を認定しなければならない義務を負うのであり、このことは施行規則二七条が、小学校の卒業認定について卒業を認めるに当たっては児童の平素の成績を評価してこれを定めなければならない旨を、同規則二八条が、校長は、小学校の全課程を修了したと認めた者には卒業証書を授与しなければならない旨をそれぞれ規定し、同規則六五条が、右各規定を高等学校に準用し、同規則六三条の二が、校長は、生徒の高等学校の全課程の修了を認めるに当たっては、高等学校指導要領の定めるところにより、八〇単位以上を修得した者についてこれを行わなければならない旨を規定していることからも明らかである。

また、卒業認定の判断は、学校・教師の教育的自律性の範疇に属するから、その際、学校・教師の専門的評価を第一次的には優先させなければならないが、他方、子どもの学習権(その一内容としての正当に評価を受ける権利)を侵害することは許されず、右学習権保障を目的とする範囲内で教育的自律性が認められると考えられるから、学校・教師が裁量の範囲を逸脱して卒業認定をしない場合は、生徒は学校に対して、卒業認定を請求できると解すべきである。

仮に、司法審査が及ぶ争訟を、教育専門的価値判断が不要な場合に限定してしまうのでは、学校教育の中で争訟の許される範囲は極めて狭いものとなり、学校における子ども達の学習権が害され妥当でない。

したがって、原告は、被告学園に対し、卒業認定を請求できる。

3  裁判所の判断

卒業認定をするか否かは、認定の対象となる生徒の一般市民法上の資格あるいは地位に大きく影響するものであるから、一般的市民法秩序と直接に関係を持つものであり、本件のように、在学契約に基づき卒業認定という一定の作為を請求する場合は、在学契約の解釈上、学校が生徒に対して卒業認定をする義務を負う場合があり得るというべきであるから、本件における卒業認定請求権の有無は司法審査の対象になる。

もっとも、被告学園が主張するように、高等学校の卒業認定においては教育上の見地からする専門的な価値判断が要求されるのであり、そのことは、修徳高校の卒業認定手続にあっても同様であるから、卒業認定の判断は学校の裁量に委ねられていることはいうまでもない。

第四本案における争点に対する判断

一事実関係

〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められる。

1  修徳高校の教育方針

修徳高校の建学の精神、教育方針は、社会のために自己の一生を捧げ得る人物、感謝の生活が送れる人物、実社会で直ちに役立つ教養を身につけ、かつ、これを実践できる人物を養成することにあり、修徳高校では、その実現のために学習指導、教科外活動とともに、誠実な人物、内外両面とも清潔・高潔な品性を備えた人物、責任と勇気をもって行動できる人物に育てることを目的として、訓育指導に力をいれていた。

2  運転免許無断取得までの原告の行動及びそれに対する学校の対応等

(一) 原告は、昭和六〇年四月に修徳高校に入学して間もないころ、山田恵子教諭(以下「山田教諭」という。なお、山田教諭は、原告が二年生及び三年生のとき、原告のクラスの担任教諭でもあった。)が講義をしている際私語が多かったため、同教諭が原告に注意したところ、原告は右注意を無視し、また、一年生のとき山田教諭の授業中机にうつ伏せていることがあった。

(二) 原告が一年生のとき、原告のクラスの担任教諭であった宮崎佐久恵教諭(以下「宮崎教諭」という。)は、原告に対し、リップクリームをつけて学校に来ないように何度か注意したが、原告はその注意に従わず、同年五月二八日ころ、同教諭が、原告に対し原告が唇に塗っていたリップクリームを拭き取るように注意したが従わなかったので、持っていたティッシュペーパーでそのリップクリームを拭き取ろうとしたところ、原告は同教諭の手を払った。

(三) 同年七月二六日から三〇日までの林間学校に出発する際、原告は、出発時間になっても連絡もしないまま集合しなかったため、宮崎教諭が原告の自宅に電話連絡したところ、自宅にいた原告は、病気のため林間学校を欠席する旨を伝え、結局林間学校には参加しなかった。

(原告及び原告の父親は、当時原告は慢性盲腸炎を患っており、そのため右林間学校を欠席し、林間学校を欠席することについては、前日と当日の早朝の二度にわたり事前に宮崎教諭に連絡したと供述するが、後述するように、原告は右林間学校実施期間と近接する時期に鰻屋で手伝いをしており、当時原告が健康を損ねていたとは考えられず、他に、原告が当時慢性盲腸炎を患っていたことをうかがわせる証拠はないから、右供述は採用できない。)

(四) 原告は、後述のとおり、修徳高校が生徒のアルバイトを禁止しているにもかかわらず、同年七月末ころ、土用の丑の日(七月二五日)の前後一〇日位の間、鰻屋で鰻等の店頭販売を行い、また、その店の子どもの子守りを行い、その対価として時給五〇〇円程度で一日一五〇〇円ないし二〇〇〇円の金銭を右鰻屋から得ていた。なお、右鰻屋は、原告宅から徒歩五、六分のところにあり、その経営者と原告の家族は親しく付き合っていた。

原告は、当初は右鰻屋での手伝いについて学校に報告していなかったが、ある生徒が右事実を学校に報告した後、学校側から要求されて初めて、原告は右手伝いの事実を学校に報告した。

(五) 原告は、同年一〇月二一日、現代社会の中間考査において、憲法前文を書き込んだカードケースを下敷きとして使用し、それを机に出したまま中間考査を受験しようとした。監督の教諭は原告の行為をカンニングであると認定し、職員室で原告を指導しようとしたところ、原告は無断で下校した。その後、原告は右カンニングの件で家庭謹慎の処分を受けた。なお、中間考査は全科目零点となった。

(原告は、憲法前文を下敷きに書き込んだのは、当時そのようにして暗記するのがはやっていたからであり、カンニングをする意図はなかった旨供述するが、暗記の方法として下敷きに文章を書くこと自体不自然であるし、憲法前文が右試験の出題範囲であったこと及び右試験の際に下敷きの使用が禁止されていたことを考え併せれば、原告の供述は採用できない。)

(六) 原告は、昭和六一年一月二九日、国語の授業の際に、授業の内容とは関係なく、欠席した一生徒のことにつき宮崎教諭にその欠席の理由を問いただし、しばらくの間原告と同教諭との間で押し問答が続いたが、原告が騒いだため、同教諭は授業ができないと判断して職員室に戻り、その結果一時限目の国語の授業は行われなかった。

原告は、翌三〇日、当時修徳高校学校長であった石渡経夫校長から直接注意を受けた。なお、学校長が直接生徒に注意をするのは稀なことであった。

(七) 原告は、一年生のときから言葉使いが悪く、教諭らに対して口答えしていたが、二年生のとき、担任の山田教諭が原告に対し注意したところ、原告は、「うるせえ。」などと言い、あるいは同教諭を無視するなどして反発した。

(八) 原告は、二年生一学期の終業式の日に、学校に対して、今年も鰻屋でアルバイトをしたい旨申し出たが、山田教諭は、修徳高校はアルバイトを禁止しているという理由で許可しなかった。

ところが、原告の母親が学校に対し、原告を鰻屋に行かせたい旨電話で伝えたこともあり、当時生徒指導部教諭であった大石耕三教諭(以下「大石教諭」という。)は、原告の父親と協議した結果、鰻屋での手伝いに報酬が伴わないことを確認したうえで、原告が鰻屋で働くことを許可した。

原告は、右許可を得たうえで、昭和六一年の土用丑の日の前後一〇日間位鰻屋で手伝いをしたが、このときも右確認に反し、対価として時給五〇〇円程度で一日一五〇〇円ないし二〇〇〇円の金銭を右鰻屋から得た。

なお、原告は、三年生でアルバイトをしたら就職の世話をしない旨大石教諭から言われていたので、三年生のときは、継続的にすることはなく、二、三回手伝うにとどまった。

ところで、修徳高校は、アルバイトにもいろいろな危険性があることなどを考慮して、本件当時、「本校の生活指導について」と題する校則集においてアルバイトを禁じ、経済的な必要性が認められる場合以外は、原則としてアルバイトを許可しない方針をとっており、単なる手伝いとアルバイトを報酬の有無で区別したうえで、報酬を伴うアルバイトを禁止していたが、原告の鰻屋での右手伝いは報酬を伴ったのであるから学校が禁止するアルバイトに該当し、原告もそのことを認識していた。

(原告は、原告の鰻屋における行為は、親戚付き合いで人助けのつもりで行ったのだから単なる手伝いにすぎず、学校が禁止するアルバイトに該当するという認識はなかった旨供述し、原告の父親は、学校は無報酬を条件に鰻屋の手伝いを許可したわけではない旨証言する。

しかしながら、原告が得たものが金銭であって、しかもその額からしても、これが報酬といえることは明らかであって、原告の行為はいわゆるアルバイトに該当するものであり、原告が鰻屋から金銭を受け取っていたことを学校に伝えなかったことなどをも考慮すれば、原告は、自分の行為が学校の禁止するアルバイトに該当することの認識を十分に有していたものと推認することができるのであり、原告の供述は採用できないし、父親の右証言も前掲の証拠に照らし採用できない。)

(九) 原告は、同年九月終わりころ、体育の授業中に自分の髪の毛をポニーテールの形にしていたところ、門井香園子教諭(以下「門井教諭」という。)にそれを注意され、同教諭が原告の髪を止めていたゴムを取ろうとしたので、同教諭の手を払いのけた際、自ら扉にぶつかり、その後乱暴な言葉で反抗したので、山田及び門井両教諭は原告の態度を職員室で注意した。

(一〇) 山田教諭は、原告が三年生のときの昭和六二年九月一七日、ホームルームの際に、挨拶をするための号令を二回掛けたにもかかわらず、原告が頭を下げなかったので注意したところ、原告は、「うるせえ。」と二、三度文句を言った。

3  原告の運転免許の無断取得及びそれに対する学校の対応

(一) 修徳高校は、普通自動車運転免許取得につき、「本校の生活指導について」と題する校則集において、昭和六〇年度は、三学年一学期終業日以降ならば学校に届け出た後に教習所で受講することを認める旨及び無届けで免許取得したことが発覚した場合は理由の如何を問わず退学勧告をする旨規定し、併せて右制限は不必要な車による遊びが引き起こす事故を防止することがその目的である旨規定していた。その後、学校は、夏に免許を取得し冬に事故を起こすという事態が生じるのを防ぐため、また、就職の関係から免許が必要となる場合においても、三学年一学期終業日以降に教習所での受講を認めるのは早すぎるとの判断から、右校則を変更し、教習所での受講開始時期を遅らせ、三学年三学期卒業考査以降ならば学校に届け出た後に教習所で受講することを認める扱いとし、就職希望者で免許が必要な場合は別途考慮することとした。右の校則変更については、ホームルーム、ラジオ体操、朝礼等の機会を通じて生徒に伝えられ、生徒の保護者に対しては、昭和六一年三月二〇日付け及び同年七月一九日付け「生活指導部だより」を通じて伝えられた。

右の規定の理由は、交通事故から生徒の生命身体の安全を守り、非行化を防止し、よって勉学に専念する時間を確保することにあった。

なお、学校が、就職を理由として、三学年三学期卒業考査以前に運転免許を取得することを許可したケースはあった。

(二) 原告は、修徳高校に入学する際、運転免許取得制限等の事項が記載された校則集等の交付を受けており、原告及び原告の父親は、入学時に右の運転免許取得制限について認識していた。

(三) 原告は、三年生のときの昭和六二年七月二三日、普通自動車の運転免許を取得し、そのことを学校に秘していたところ、同年九月二六日、匿名で学校に通報が入り、原告が運転免許を取得したことが学校に発覚し、学校は、同月二八日、原告にそのことを問いただしたところ、原告は、謝罪をすることなく、「誰が言ったんですか。」と反発した。

なお、原告は教習所に通っていたころ、運転免許取得につき三学年三学期卒業考査以降でなければ教習所に通ってはいけないように校則が変更されたこと及び就職希望者で免許が必要な場合は別途考慮する扱いになったことを知っていた。

(原告は、運転免許取得の動機について、その当時就職が決まっており、そこで営業をすることになるかもしれないので運転免許を取っておいたほうが便利であり、また、原告の父親が痛風のため商売である米等の配達ができなくなる恐れがあり、その配達を手伝いたいと考えた、また、たとえ運転免許をとったとしても運転免許を学校に預けるだけで大丈夫であると先輩に言われていたことも頭にあった旨供述する。

しかし、運転免許取得の事実が学校に発覚し、問いただされた際には、原告は右事情を学校に対して弁明しておらず、本件訴訟になって初めて主張したものであること、学校としては就職の関係上運転免許が必要となる場合については別途考慮する方針であったのに、原告は学校に届け出ることなく運転免許を取得したことなどを考慮すると、原告の運転免許取得に際してこれを必要とする事情が存したかについては疑問が多く、原告の供述は採用できない。)

(四) 同年九月二九日、職員一三名(女子部の担任全員及び女子部関係の教諭合計一三名)の全員参加で女子部職員会議が開かれ、会議では原告の処遇について検討され、結論として全員一致で退学勧告の意見にまとまったが、その際反対意見はなかった。なお、右会議の場では、原告の普段の素行について具体的な報告はされず、また、原告の普段の素行については格別議論されなかった。

右会議で退学勧告の結論が出た後、女子部職員らが生徒指導部主任の向笠教諭に意見を求めたところ、同教諭は、原告が三年生でもあることから今回に限り免許証を預ったうえで厳重注意にしたらどうかという意見を述べ、再度職員会議を開くことを指示し、これを受けて女子部職員会議が続行された結果、最終的には、今回に限り厳重注意にする旨決定された。

(五) 大石、門井及び山田各教諭は、同月三〇日、原告と原告の父親に対して、原告が運転免許を取得した事実を確認した後、右厳重注意の決定を伝え、その際、大石教諭は、本来ならば自動車の免許を取得したので退学を勧告するところだが、三年生でもあるので今回に限り厳重注意とし、今後規則を破るようなことがあればそのときは学校に置いておけない旨告げた。

なお、原告は、運転免許証を山田教諭に提出し、右教諭が免許証を預かった。

(六) 山田教諭は、原告に対し、運転免許を無断で取得したことに対する罰として、大石教諭の許可を得たうえで、暫くの間、早朝登校(午前八時までに登校し、八時一五分までの約一五分間掃除等の作業をすること)を命じ、原告は、最初の一週間はこれに従い早朝登校を行ったが、それ以降は遅刻が目立つようになった。

(七) 山田教諭は、当時修徳高校校長であった高山近校長(以下「高山校長」という。)に対し、原告に直接注意をしてくれるよう要請し、高山校長は右要請を受けて、同年一〇月七日、山田教諭立会いのもと、原告と原告の父親に対して、右運転免許取得の件について注意をした。なおその際、高山校長は、職員の間では退学勧告意見が強かったが、進路も内定しているので厳重注意にしたのであり、今後違反行為があったら学校に置いておけなくなる旨告げ、二度と事故を起こさないよう原告に誓わせた。

なお、山田教諭の在職期間中に、校長に対し直接注意をするように要請したことは、本件を除き他になかったし、職員会議で退学勧告が決まったことも他にはなかった。

(原告は、高山校長からは特に警告的な内容の注意を受けず、また、今後事故を起こさないと誓ったこともない旨供述し、原告の父親は、高山校長から右趣旨の注意を受けたことについて記憶がない旨証言する。

しかし、敢えて高山校長が原告に対して直接注意をしたことからすれば、その場で原告らに対し厳しい注意がされ、深い反省が求められるのが通常であるし、後に原告がパーマを掛けていることが発覚した際に原告が退学になってしまうと危惧したことに照らすと、原告が既に厳重な注意を受けていたことが推測できるのであるから、原告らの供述は採用できない。)

4  原告のパーマ禁止校則違反及びそれに対する学校の対応

(一) 修徳高校は、髪にパーマを掛けることにつき、本件当時、「本校の生活指導について」と題する校則集において、パーマ・ピンカール・毛染め等は絶対にしてはいけない旨規定し、その規定の理由は、高校生らしい髪型を維持し、髪型の乱れからくる非行化を防止し、よって勉学に専念する時間を確保するところにあった。

(二) 原告は、修徳高校に入学する際、パーマ禁止等の禁止事項が記載された面接用紙等の交付を受けており、原告及び原告の父親は、修徳高校入学時に、右のパーマ禁止について認識していた。

(三) ところが、原告は、昭和六二年一〇月ころ、頭髪にパーマ(ソバージュパーマ)を掛けた。

(原告は、髪の先端部分にパーマを掛けたのは同年九月ころであった旨供述するが、原告は、本件訴訟当初から原告本人尋問が始まるまで一貫して同年一〇月ころパーマを掛けたと主張していたのであり、その主張が同年九月ころパーマを掛けたという主張に変更されたことにつき合理的な根拠を見出せず、逆に、運転免許取得が同年九月に発覚したこととの関連で主張を変更したとも考えられるのであり、原告の供述は採用できない。

また、原告は、パーマを掛けたのは、この時は毛先から一〇センチメートル位にすぎないと供述するが、他の証拠に照らすと、パーマを掛けた部位が右の程度にとどまるものとは思われない。)

(四) 山田教諭は、昭和六三年一月二〇日、原告がパーマを掛けているように見受けられたので、原告に対し、パーマを掛けているのではないかと尋ね、その点を確認しようとしたところ、原告は、今から切ってくる旨答えた。山田教諭は、原告に対し三つ編みを解くよう何回か命じたが従わないので、とりあえず原告に掃除をするよう命じ、大石教諭のところへ相談に行った。

その後、山田教諭が大石教諭のところに連れて行くために原告を迎えに行ったところ、原告は既に無断で早退していた。

(原告は、無断で早退した理由について、気が動転して、わけがわからなくなって帰宅した旨供述するが、後述するように、学校から原告宅に電話があった際、原告は既に帰宅していたにもかかわらず居留守を使い、その後パーマをストレートにするために美容院に行ったことからすると、原告の一連の行為は、むしろ、パーマを掛けていた事実を隠蔽する意図のもとにされたと疑われるのであり、気が動転して帰宅したとする原告の供述は採用できない。)

(五) 山田教諭は、その後原告宅に電話を入れ、原告の父親に対して、原告が帰宅したら父親と共に学校に来るように伝えて欲しい旨告げたところ、その場に居あわせた原告は、父親に対し、居留守を使ってほしい旨の合図をし、父親はそれを受け原告は不在であると答えた。

その後、原告はパーマをストレートにするために美容院に行き、原告の父親は、一人だけで学校に行った。

5  本件勧告

(一) 同日夕方、大石教諭が主事の石渡教諭に原告のパーマの件を報告し、石渡教諭の招集に基づき、女子部職員会議が一三名全員参加で開かれ(以下「一回目職員会議」という。なお、参加職員は運転免許取得の件についての職員会議のときと同一であった。)、女子部職員は、これまでの原告の素行、原告が校則に違反し運転免許を無断取得したこと、運転免許の無断取得の際厳しく原告に警告したこと、それにもかかわらず運転免許無断取得の罰としての早朝登校期間中にパーマの件が生じたこと及び原告が校則に違反しパーマを掛け、それが発覚した日に無断早退したことなどを考慮したうえ、全員一致で原告に対し自主退学を勧告することに決定した。

なお、女子部職員一三名のうち一名を除いては原告の授業を持ったことがあるので、原告の授業中の態度及び違反事項等を知っていた。その際、山田教諭はパーマがどの程度の範囲に掛かっていたかについては格別報告しなかった。

そして、その日の放課後、大石教諭が高山校長に右職員会議の結果を報告した。高山校長は、運転免許無断取得の際に原告に対して既に警告してあること及び三学期の始業式に事故を起こさないように厳しく注意していたことを考慮し、さらに、原告の素行等も検討したうえで、原告は反省をしていないと判断し、退学勧告することを口頭で許可した。

(二) 学校は、翌二一日午前一〇時三〇分ころ、原告及び原告の父親を学校に呼び出し、前日の無断早退の理由を尋ねたが、原告らはこれに答えることなく、また、原告が髪の毛の上の部分を教諭らに指示されて濡らして来たところ、頭頂部を含め濡れた部分にウェーブが出たので、大石、門井及び山田各教諭が原告のパーマを確認したうえで、大石教諭は、原告らに対し、自主退学をするよう本件勧告をした。

大石教諭は、本件勧告を行う際、退学処分になると指導要録に記載される場合があり、転校先が引き受けてくれない場合が多いが、退学勧告は自主退学のことであり、自主退学だと転校がしやすい旨説明した。

本件勧告に対し、原告の父親は、右勧告の撤回を要求し、また、原告らは謝罪の言葉を述べず、その日は退学勧告に従わなかった。そして、原告の父親が、高山校長との面会を希望したので、大石教諭は高山校長を呼びに行ったが、高山校長は、勧告した当日なのでその日は会わないほうが良いと考え面会を断り、向笠教諭が高山校長の代わりに説明をした。その際、原告は、山田教諭らについて、「こんな下っ端の人達に話したってどうにもならないよ。」などと言った。

(原告は、本件勧告を受けるときに大石教諭から、自主退学しなければ学籍簿を処分し、原告の一年生及び二年生の学歴がふいになる旨の説明を受けた旨主張し、原告及び原告の父親はこれに沿う供述をする。

しかし、右説明内容自体不自然であるし、また、学籍簿は修徳高校で使用されておらず、現在では学籍簿という用語自体が慣用的には使用されていないと認められるのであるから、大石教諭が学籍簿という言葉を口にしたとは考えられず、原告の右主張は採用できない。)

(三) 翌二二日、山田教諭らは、前日に原告が本件勧告に従わなかったので、高山校長に書面による決裁を求めたところ、高山校長は、原告が三年生であることを頭に入れて、もう一度慎重に協議し直すように指示した。

(四) 翌二三日の放課後、高山校長からの指示を受けて、一三名全員参加で再度女子部職員会議が開かれ(以下「二回目職員会議」という。)、その結果、原告に反省が見られないことを理由に、短時間のうちに全員一致で再度退学勧告の決定がされたが、その際、本件勧告がされたときの原告らの対応の様子は全員が知っていた。右決定の報告を受けた高山校長は、大石教諭が本件勧告を行ったときの原告の対応等も考慮し、本人に反省の意向がないと判断し、これを了承した。

(五) 原告の父親は、同月二七日、高山校長を訪ね、本件勧告の取下げを願い出、高山校長は、父親には反省の色があると認めたので、父親に対し、もう一度女子部に職員会議を開かせるから、父親から現場の先生によく頼んでおくようにと忠告した。これを受けて原告は、同日、山田教諭宅を訪ねたが、同教諭は留守だった。

(六) 原告と原告の父親は、翌二八日の午前一一時ころ、山田教諭の自宅を訪ね、原告は謝罪の言葉を述べ、原告の父親はもう一度本件勧告の件を職員会議にかけるよう強く要望した。

そこで、山田教諭は、原告らに対し、高山校長に会わないと約束してくれるなら、職員会議に再度掛けるが、職員会議でだめだったら、退学願を出して欲しい旨要請した後、高山校長に電話連絡をし、原告らが訪問してきて職員会議での再協議を要請したことを報告したところ、高山校長はもう一度会議を開くように山田教諭に指示した。

原告は、山田教諭宅を訪問した際、髪を切って行ったが、残った髪の長さは肩より下にかかる程度で、首筋が見えるほど短くなってはいなかった。

なお、修徳高校では、パーマを掛けていることが発覚した場合、反省の意味で首筋が見える位にショートカットにするのが通例であり、初めてパーマを掛けた生徒に対しては、首筋が見えるくらいのショートカットにして反省するように指導する場合もあった。

(七) 山田教諭は、翌二九日、前日のいきさつを職員等に話し、石渡教諭の許可を得て職員会議を招集し、午前八時二〇分ころから約一〇分間、職員会議を開いた(以下「三回目職員会議」という。)。

なお、山田教諭は、右職員会議が始まる前に、女子部の大部分の教諭らに対し、原告が謝罪をしに来たが、毛先を少し切っただけで、髪は結ばないで来たと話したが、原告が切った髪の長さが一〇センチメートル位にすぎず、しかも、切ったのが本件勧告から一週間後では報告しても意味がないと考え、右職員会議においては原告が髪の毛を切ったことを敢えて報告しなかった。

三回目職員会議の結論は、退学勧告の決定を維持するというもので、決定の内容に変更はなく、山田教諭は、右結論を高山校長に伝え、その了解を得た後、原告の父親に電話連絡をし、再度会議を開いたが結果は変わらなかったことを伝え、原告の父親はその旨を了承し、その電話で、山田教諭は、退学願の書き方を教えた。

(八) 原告が属するクラス内にはパーマを掛けていた生徒がおり、その中には学校指定の床屋で髪の毛を切り、日付けを入れない退学願を書く処分を受けた者もあったが、現実に退学処分を受けた者はなかった。ただし、原告の件が発生した直後の検査の際には、一名の生徒を除き目立つ程度にパーマを掛けている者はいなかった。右生徒は、昭和六二年の夏ころからパーマを掛けており、昭和六三年一月二〇日当時もパーマを掛けていたため、同日職員室に呼び出され、最終的には髪を短く切り卒業した。

また、原告と同学年に、パーマを掛け、また、運転免許取得のため教習所に通ったことがある生徒がいたが、右生徒は、各校則違反の際に学校の指導に従い、結局は卒業した。

6  退学願の提出及び受理

原告は、山田教諭の努力にもかかわらず本件勧告が撤回されるに至らなかったものと考え、父親が山田教諭との間で、三回目職員会議で本件勧告が撤回されなかったら退学願を提出する旨の約束をしていたこともあり、退学願を提出することに決め、原告及びその保証人である原告の父親は、同年二月二日、修徳高校に対して、同年一月三〇日付け退学願を提出し、同年二月三日、右退学願は修徳高校に受理された。

その後、原告は、右退学願を取り消し、撤回する旨の意思表示をし、同年三月一八日、右意思表示は被告学園に到達した。

7  原告の成績及び学習態度等

(一) 原告の教科・科目の成績は、一年生の一学期から三年生の二学期までを通じて、約五〇名のうちで、三〇番前後であり、追試を受けたことはなかった。また、学校では、学期末、中間考査の時期に留年基準に該当する恐れのある生徒の保護者に対して、担任の申請に基づいて学校長名で警告激励の文書を発行することになっていたが、原告に対し右文書が送られたことはなく、また、父母会等で原告の父母が口頭で警告を受けたこともなかった。

(二) 原告は、一年生から三年生までの間、華道部に所属し、一年生及び二年生のときの評定は五段階中四であった。

(三) 原告は、二年生のとき、簿記四級、珠算三級、暗算三級、英語検定四級、ペン字三級の各資格を取得し、三年生のとき、珠算二級を取得した。

(四) 原告の出席状況は、一年生のとき、授業日数二二二日中欠席七日、遅刻七日、早退三日、二年生のとき、授業日数二一五日中、欠席七日、遅刻一四日、早退二日、三年生のとき、授業日数一八八日中、欠席一五日、遅刻一五日、早退六日であった。

二本件勧告の法的性質について

原告が主張するような卒業認定及び卒業証書授与の各請求が認められるためには、少なくとも当該生徒と学校の間に在学関係が存続していることが必要であるところ、本件においては、前示のとおり原告が本件勧告に従い修徳高校に対して退学願を提出し、右退学願が同高校に受理されたという経過をたどっているので、まず、本件勧告の法的性質を検討する。

1  原告の主張

大石教諭及び高山校長は、原告及び原告の父親に対して、自主退学を勧告する際に、自主退学をしなければ退学処分になると告げ、一方、退学勧告を拒み得ることを告げず、さらに、大石教諭は、退学願を出さなければ一年生及び二年生の学歴がふいになると述べ、原告に退学願を提出させたのであるから、学校の右行為は、実質的に原告に退学を強制しているものであって、強制力のある懲戒処分というべきであり、施行規則一三条二項が、懲戒処分を退学、停学及び訓告の三種類に限定している趣旨に照らせば、右行為は退学処分そのものと同視できる。

2  被告学園の反論

本件勧告においては、原告及びその保護者に、右勧告に従い退学の申出をするか否かの意思決定の自由が認められており、しかも、原告及び保護者が右勧告を拒否した場合には学校側で原告に対しいかなる処分ないし処置をするかを改めて検討しなければならないのであるから、本件自主退学勧告は、生徒及びその保護者の意思いかんにかかわらず、学校側の一方的な意思表示によって生徒の身分を消滅せしめる退学処分とは本質的に異なるものであり、退学処分と同視することはできない。

3  裁判所の判断

自主退学勧告においては、被勧告者は、勧告に従い退学の申出をするか否かの意思決定の自由を有するのであり、その点において、自主退学勧告は、学校側の一方的な意思表示によって生徒の身分を消滅させる退学処分とは異なるものといえる。

しかしながら、退学処分を受けると将来にわたり様々な不利益を受けることが予想されることから、退学処分を回避する手段として自主退学勧告が選択されることが多い現状では、自主退学勧告があった場合、これに従うか否かの意思決定の自由は、事実上制約されるという面があることも否定できないのであるから、自主退学勧告は直ちに退学処分もしくはこれに準ずる処分とはいえないとしても、学校長の裁量権を逸脱した自主退学勧告がされるなど、勧告自体に違法性が認められる等の特別な事情がある場合には、その勧告に従った自主退学の意思表示も無効になる場合があると解するのが相当である。

三本件勧告の違法性の有無について

既にみたとおり、本件において、修徳高校は、原告が校則に違反し運転免許を学校に無断で取得したこと、原告が校則に違反しパーマを掛けたこと及び原告の素行全般等の諸事情を考慮したうえ、本件勧告に及んだものである。そして、本件勧告の違法性の有無を判断するについては、原告も指摘するとおり、右各校則の効力の有無、本件勧告が比例原則及び平等原則に違反しないか否か、本件勧告に適正手続違反がないか否かの観点から検討するのが相当であると考えられるので、以下、順次検討する。

1  自動車運転免許取得制限校則及びパーマ禁止校則の効力の有無について

(一) 原告の主張

(1) 懲戒の根拠

教師の懲戒権は、教育条理上、教師の指導権から、一定範囲において認められ、学校教育法一一条は、学校教師による懲戒がもっぱら教育目的のために教育の一環として行われることを確認し、これを受けて、施行規則一三条一項は、校長及び教員が児童等に懲戒を加えるに当たっては、児童等の心身の発達に応ずる等教育上必要な配慮をしなければならない旨規定しており、教育上の懲戒は、教育上必要であり、教育上必要な配慮をした懲戒のみが認められる。

そして、教育は、個人の尊厳、真理、平和を求めるような人格の完成を目指して行わなければならず、子どもは、そのような教育を要求する権利、人格の完成を目指して学習する権利を有しているのであるから、教師、学校の行う懲戒は、生徒の人格の完成、学習権の充足にとって必要な場合に、その目的に沿うよう十分配慮したうえで行わなければならない。

右のような子どもの人格的成長発達のための教育は、教科教育だけでなく、生徒の学校生活をめぐる人格的成長発達の指導助言活動である生活指導を当然に予定しており、これに対応して、教師に認められる教育権も、教科教育権のほかに人格的成長発達の指導助言活動である生活指導の権能を含んでいる。

右生活指導は教科教育と同じく児童生徒の学習権を保障していく教育活動であるが、教科教育において授業内容編成権や成績評価権が基本的には教育専門的事項として教師の側に最終的決定権が委ねられているのと異なり、憲法一三条により保障された自己決定権によりライフスタイルに関する決定は、原理的には子どもと親の側に第一次的に留保されており、この領域における学校教育活動は、第二次的、補充的なものにすぎない。

また、教科教育以上に子どもや親のプライバシー権、自己決定権、思想・信条の自由、表現の自由等の人権と接触する生活指導は、免許制に裏打ちされた教科教育の専門性と異なり、教育実践の中で初めて専門的能力が形成されていく教育活動の場である。

右の前提に立てば、生活指導は、あくまでも生徒の誇りと理性に働きかけ、生徒の自主的判断、自律的行動を導き出す活動でなければならず、したがって、生活指導は、原理的には強制になじまず、生徒の人格成長発達、学習権を保障する指導助言活動でなければならない。

学校教育においては、全ての生徒の人権、人格的成長発達のための学習権が保障されなければならず、全ての生徒は憲法上同等に人権、学習権を保障されているのであるから、学校において集団での学習が成り立つためには、他人の人権、学習権を侵害しないという最低限のルールは守られなければならず、ここに強制の契機を伴った制裁措置である懲戒が教育上正当化される根拠があり、これに加えて、生徒の行為が他の生徒の利益を侵害しなくても、専ら当該生徒の利益を確保するために必要であるという理由で、右生徒の行為に干渉することが正当化されることがあり得る。しかし、個々の生徒にとって真の利益が何かを判断することは、容易なことではないから、本人を保護する目的でされる干渉は、常に謙抑的でなければならず、原則的には生徒や父母との対話によって真の利益は何かを共に考え、非強制的な助言指導により目的を達成するべきである。

(2) 本件の自動車運転免許取得制限校則及びパーマ禁止校則と懲戒処分との関係

修徳高校においては、校則違反が懲戒処分の根拠とされる運用が常態化しており、本件退学処分についても、普通自動車運転免許取得制限という校則違反及びパーマ禁止という校則違反が中心的理由とされている。

前述のとおり、教師の生活指導権は、基本的には、子どもと親の主体的意思を尊重しつつ行使される児童生徒の人間的成長発達の指導助言活動の権能であると考えるべきであるが、現在校則と呼称されている規則のうち、子ども達の集団生活上の権利調整を目的とする最小限の規則以外は、基本的には狭義の生活指導規定として、右の教師の生活指導権に基づき、かつ、その指導助言活動を明文化した規定で一律に示す必要性が認められる場合に制定される規則と解するべきである。

したがって、右の狭義の生活指導規定としての校則に違反することは、教師の指導助言活動としての生活指導の根拠とはなっても、これを次元の異なる懲戒の根拠に直結させることは、教師の生活指導権の性質上許されず、本件のパーマ禁止校則のような頭髪・服装規定及び普通自動車免許取得制限校則は、いずれもそれ自体として直接に集団生活上の権利調整を目的とした規定ではなく、前記の狭義の生活指導規定であることは明らかであるから、右各校則は、あくまでも生徒と親の基本的な合意に基づいて順守を求める規定としてのみ効力を有するものであり、その違反は懲戒の根拠たり得ない。

また、校則に違反することとそれが懲戒処分の根拠になることとは別の次元の問題であるから、本件で校則違反と懲戒処分を直結させていること自体が違法である。

(3) 本件の自動車運転免許取得制限校則及びパーマ禁止校則と憲法規定の私人間効力との関係

本来非強制的な生活指導規定としてのみ効力を認められる助言活動の準則も、教師の内部的準則としてではなく、生徒に対し一般的に守るべきルールという形式において制定し、その履行を求める方法をとる場合には、その運用の実情によっては、子どもと親の人権を制約するものとして違憲の問題が生じ、修徳高校においては、校則はその違反を検査等によって発見し、違反者に対しては強い叱責、親の呼出しというような事実上の懲戒、更には懲戒処分をも含めた措置がとられていたのであり、そうした運用によって子どもと親の自由が制約されていたことは明らかである。

そして、そうした校則の運用によって制約される自由が憲法上の基本的人権である場合には、合憲性判定基準に照らし制約の許容範囲を逸脱した場合には、その校則は違憲なものとなる。

私人間における憲法の人権保障規定の効力については、規定の趣旨・目的から直接的な私法的効力をもつ人権規定を除き、その他の人権については、法律の概括的な条項又は文言、特に民法九〇条の公序良俗規定のような私法の一般条項の解釈を通じて、憲法を間接的に私人間の行為に適用する立場に立つとしても、侵害されている人権の性質、問題とされている私人関係の性格等によって、人権規定の趣旨を対国家関係と同様に徹底させる積極的な解釈をとるか、私的自治をより尊重し消極的な解釈をとるかを、具体的に検討しなければならない。

そこで、私立学校における子どもの人権について検討するに、私立学校については、私立学校法一条及び教育基本法六条が、私立学校が公共性を担う機関である旨、私立学校法五条が、文部大臣が私立学校の諸課程の許可権限を持つ旨をそれぞれ規定しており、また、国あるいは自治体は、私立学校が公教育機関であることを前提として私立学校に対し公費援助を行っているのであり、私立学校は、国公立学校と並んで教育基本法以下の諸実体法の立法措置の詳細な適用を受け、各種の法的義務を負う公教育機関であるといえるのであり、さらに、学校は、子どもの学習発達の権利を保障する場合であると同時に、広く人権教育を目的とする場であるのであり、教育の場において常に人権が尊重されるべきことは教育条理であり、また、教育基本法が直接要請しているものであると解される。

以上のことから、私立学校における子どもの人権に関しては、人権規定の趣旨の導入について積極的な解釈をとるべきであり、結論として、私立学校の在学関係においては、憲法の基本的人権保障の効力は、国公立学校におけると同様貫かれるべきである。

(4) パーマ禁止校則の違憲性

髪は、身体の一部であって、その髪型は、美的価値意識と切り離せないものとして人格の象徴としての意味を有するのであるから、髪型の自由は人格権と直結した自己決定権の一内容として、憲法一三条により保障された基本的人権である。

髪型の自由の制約についての合憲性判断は、規制目的の合理性・必要性及び規制手段が合理的で必要最小限であるかを、規制する側が立証責任を負うものとしてされるべきである。

なぜなら、髪型の自由は、人格権と直結し、人格権と関連する自己決定権の一内実をなす権利であるから、福祉国家理念に基礎をおく生存権保障等のために広範な政策的制約が肯定される経済的自由に対する規制についての合憲性判定基準である合理性の基準は妥当せず、また、成績評価など教科教育にかかわる学校措置についてその教育専門性を根拠に認められる比較的広い教育裁量は、校則による生徒及び親の人権の制約の場面では認められる余地がないからである。

右の基準に基づきパーマ禁止校則の合憲性を検討するに、パーマを規制する目的として非行化の防止が想定されるが、髪型と非行との間に直接的で具体的な関連性を認めることは困難である。また、髪型の変化は非行化の結果たり得てもその原因ではないから、非行化が始まった生徒に髪型の変化が生じたなら、教師はその原因である具体的な非行事実について指導すべきであるし、仮に、髪型自体について指導することが必要な場合があるとしても、髪型が個人の自由に属することを踏まえれば、一般社会においても明らかに特異だとみなされる極端な髪型を実際にし始めた生徒に対する個別的指導、しかも一方的にその髪型を否定するものでない丁寧な指導を行うべきであり、それにより非行化の防止という目的は十分に達成可能であるから、髪型と非行化の防止に何らかの関連性を認める余地があるとしても、そのためのよりゆるやかな規制手段の存在は明白である。

したがって、パーマを一律禁止し、そのうえで違反者を発見するための検査の実施、事実上の懲戒を含む指導、さらには懲戒処分の根拠とするような運用を行うことによって髪型の自由を制約することは憲法一三条に違反するものとして違憲である。

(5) 自動車運転免許取得制限校則の違憲性

運転免許取得の自由は、髪型の自由との比較においては、人格権との結合の程度は弱いものと解される余地はあるが、より広い意味の自己決定権、すなわち、自己にのみかかわる事柄については公権力の干渉を受けることなく自ら決定し得る権利の一内容として、憲法一三条により保障された基本的人権である。

運転免許取得の自由の制約についての合憲性判断は、髪型の自由における場合と同様の理由により、規制目的の合理性・必要性及び規制手段が合理的で必要最小限であるかを、規制する側が立証責任を負うものとしてされるべきである。

運転免許取得規制については、校則が生徒の生活・行動を規制できるのは、学校の教育目的の達成に必要な限りであって、親の教育権の範囲である家庭教育に委ねられている校外生活については、原則的に校則の規制は及び得ないと解すべきであるから、運転免許取得制限校則が生徒の生命身体の安全保持を目的として学校外生活を規制することは、それ自体学校の守備範囲を越えた越権的規制として違憲である。

さらに、運転免許取得は、学校外生活の中でも道路交通法八八条一項一号において一八歳以上の国民に認められた権利であり、これは法が一八歳以上の国民に免許取得についての自己決定権を具体的に肯定したものにほかならないから、このことからも明確な法的根拠なしに生徒の免許取得を制約することは越権的な規制である。

なお、非行化と運転免許取得に実質的で合理的な関連性が認められないことは明らかであるから、非行化防止目的との関連においても運転免許取得制限校則は違憲である。

(二) 被告学園の反論

(1) 校則を制定する根拠

高等学校は、国公立私立を問わず、生徒の教育を目的とする公共的な施設であり、法律に格別の規定がない場合でも、学校長は、その設置目的を達成するために必要な事項を校則等により制定し、これによって在学する生徒を規律する包括的権能を有し、特に私立高校においては、建学の精神に基づく独自の伝統ないし校風と教育方針とによって社会的存在意義が認められ、生徒もそのような伝統ないし校風と教育方針のもとで教育を受けることを希望して当該高校に入学し、教育施設に包括的に自己の教育を托し生徒としての身分を取得するものであるから、当該高校の規律・校則に服することが義務付けられている。

修徳高校は、創立以来八〇有余年に渡る歴史と伝統があり、その建学の精神、教育方針は、社会のために自己の一生を捧げ得る人物、感謝の生活が送れる人物、実社会で直ちに役立つ教養を身につけ、かつ、これを実践できる人物を養成することにあり、修徳高校では、その実現のために学習指導、教科外活動と共に、誠実な人物、内外両面とも清潔・高潔な品性を備えた人物、責任と勇気を持って行動できる人物に育てることを目的として、訓育指導に力を入れており、修徳高校の校則は、右校風及び教育方針のもとで、生徒に対する訓育指導上必要なものとして規定されたものである。

(2) 憲法規定の私人間効力

私立学校に対する現行法の規制だけでは、私立学校の事業と政策に国の高度なコントロールが及んでいるとはいえないのであって、補助金の支出があることの一事をもって、私立学校を国家又は地方公共団体と同視したり、実質上、他の私人に比してより以上に憲法規定を厳守すべきであるということはできない。

(3) パーマ禁止校則の合理性

パーマを禁止する校則の目的は、女子高校生徒に高校生にふさわしい髪型を維持させ、髪型の乱れからくる非行化を防止し、よって勉学に専励する時間を確保するところにあり、右各目的には合理性が認められる。

(4) 運転免許取得制限校則の合理性

運転免許取得を制限する校則の目的は、交通事故から生徒の生命身体の安全を守り、非行化を防止し、よって勉学に専励する時間を確保するところにあり、右各目的には合理性が認められる。

(5) 学校の包括的権能が及ぶ範囲

生徒の生活については、すべて親の権能の及ぶ家庭教育の範囲内に属するということはできず、学校の設置目的達成に必要な事項又は学校の教育内容の実現に関連する合理的範囲内の事項については、学校の包括的権能が及び、それに応じて親の家庭教育の権能が制約を受けると解すべきである。

本件の運転免許取得制限及びパーマ禁止の各校則についてこれをみると、交通事故により自他の死傷の結果を招来するときは学校教育に重大な支障を生じる恐れがあり、また一人でも免許取得を認めたり、高校生としてふさわしくないパーマを掛けることを認めるときは非行化を防止できず、他の生徒に対し悪影響を及ぼすことは明らかである。

さらに、原告及びその親は、修徳高校に入学するに際し、右各校則の存在を十分に承知し、しかもそれらを遵守する旨を修徳高校に対して誓約しているのであるから、右各校則は、いずれも校外生活に及び、修徳高校はその違反に対しては懲戒することが許される。

(三) 裁判所の判断

(1) 校則制定の法的根拠

高等学校は、生徒の教育を目的とする団体として、その目的を達成するために必要な事項を学則等により制定し、これによって在学する生徒を規律する権能を有し、他方、生徒は、当該学校に入学し、生徒としての身分を取得することによって、自らの意思に基づき当該学校の規律に服することを承認することになる。勿論、学校設置者の右権能に基づく学則等の規定は、在学関係を設定する目的と関連し、かつ、その内容が社会通念に照らして合理的なものであることを要し、学則等の規定の内容が合理的なものであるときは、その違反に対しては、教育上必要と認められるときに限り制裁を科すことができ(学校教育法一一条)、これによって学則等の実効性を担保することも許されるのであり、制裁が生徒の権利や自由を制限するというだけで、直ちに右規定が無効になるということはできない。

本件においては、原告は、修徳高校に入学することで、包括的に自己の教育を同校に託し、その生徒としての地位を取得したのであり、修徳高校は、法律に格別の規定がない場合でも、その設置目的を達成するために必要な事項を学則等により一方的に制定し、これによって在学する生徒を規律する包括的権能を有するものと解され、右包括的権能は、在学関係設定の目的と関連し、かつ、その内容が社会通念に照らして合理的といえる範囲において認められる。

(2) 私人間における憲法の自由権的基本権保障規定の効力

原告、修徳高校間の在学関係を右のように解した場合、憲法の自由権的基本権保障規定の効力が右在学関係にも及ぶかが問題となるが、憲法の自由権的基本権保障規定は国又は公共団体と個人との関係を規律するものであるから、私人相互間の関係について当然に適用ないし類推適用されるものではないが、私立学校は、現行法制上、公教育の一翼を担う重要な役割を果たし、その公的役割にかんがみて国又は地方公共団体から財政的な補助を受けているのであるから、一般条項である民法一条、同法九〇条等に照らして同校の校則の効力を判断する際に、憲法の趣旨は私人間においても保護されるべき法益を示すものとして尊重されなければならない。

しかし、それと同時に、子どもと親は私学選択の自由を有し、それに対応する私学設置の自由及び私学教育の自由が尊重されるべきことも法の要求するところであるから、両者の調和は、私立学校の性質、在学関係の性格、制約される利益の性質等に応じて具体的に検討する必要があるのであり、原告の主張が私立学校の在学関係においても国公立学校と全く同様の形で基本的人権保障の効力が貫かれるべきであるとの趣旨とすれば、それは採用できない。

(3) パーマ禁止校則の効力

パーマを掛けることを禁止する校則について検討するに、右校則の目的は、高校生にふさわしい髪型を維持し、また、非行を防止することにあると認められるが、修徳高校は、内外両面とも清潔・高潔な品性を備えた人物を育てることを目的とし、そのために清潔かつ質素で流行を負うことなく、華美に流されない生徒にふさわしい態度を保持することを目指しているのであるから、高校生にふさわしい髪型を確保するためにパーマを禁止することは、右目的実現に不必要な措置とは断言できず、右のような私立学校における独自の校風と教育方針は私学教育の自由の一内容として尊重されるべきである。

もっとも、個人の髪型は、個人の自尊心あるいは美的意識と分かちがたく結びつき、特定の髪型を強制することは、身体の一部に対する直接的な干渉となり、強制される者の自尊心を傷つける恐れがあるから、髪型決定の自由が個人の人格価値に直結することは明らかであり、個人が頭髪について髪型を自由に決定しうる権利は、個人が一定の重要な私的事柄について、公権力から干渉されることなく自ら決定することができる権利の一内容として憲法一三条により保障されていると解される。しかし、右校則は特定の髪型を強制するものではない点で制約の度合いは低いといえるのであり、また、原告が修徳高校に入学する際、パーマが禁止されていることを知っていたことを併せ考えるならば、右髪型決定の自由の重要性を考慮しても、右校則は、髪型決定の自由を不当に制限するものとはいえない。

右のとおり、一方、在学関係設定の目的の実現のために右校則を制定する必要性を否定できず、他方で、右校則は髪型決定の自由を不当に制限するものとまではいえないのであるから、これを無効ということはできない。

(4) 運転免許取得制限校則の効力

運転免許の取得を制限する校則について検討するに、右校則の目的は交通事故から生徒の生命身体を守り、非行化を防止し、もって勉学に専念する時間を確保するところにあると認められ、生徒が自ら死傷し、あるいは他人を死傷させた場合、在学関係設定の目的の実現に重大な支障をきたすことは明らかであり、しかも、運転免許の取得を制限すれば事故発生率が減少することは期待できるのであるから、在学関係設定の目的の実現のために、右校則を制定する必要性は否定できない。

もっとも、普通自動車の運転免許を取得して、自動車を運転することは、社会生活上尊重されるべき法益ということができる。しかし、運転免許取得の自由と個人の人格との結びつきは間接的なものにとどまるのであるし、学校は就職希望者で免許の必要な者には個別的に免許を取得する余地を認め、また、原告は修徳高校に入学する際、運転免許取得につき制限があることを知っていたのであるから、右校則は運転免許取得の自由を不当に制限するものとはいえない。

右のとおり、一方、在学関係設定の目的の実現のために右校則を制定する必要性を否定できず、他方で、右校則は運転免許取得の自由を不当に制限するものとはいえないのであるから、これを無効ということはできない。

なお、原告は、道路交通法が一八歳以上の国民に運転免許を取得する権利を与えていることを理由に、修徳高校の運転免許の取得制限が越権的規制である旨主張するが、道路交通法規が一定の年齢以上の者に運転免許の取得を許容している趣旨は、道路における交通の円滑性と安全性を保持するためであるのに対し、本件の運転免許取得制限は、生徒の教育のためであって、両者の各規定は、規制の趣旨、目的を異にするものであるから、両者を同一に論ずることはできず、原告の主張は採用できない。

(5) その他の原告の主張に対する判断

原告は、生活指導の領域における決定は、第一次的には子どもと親が自己決定権の一内容として決定権限を留保しているのであり、また、生活指導は、教育実践の中で専門的能力を形成されていく教育活動であるから、教師による生活指導は基本的に指導助言活動でなければならないとの理解に立ち、生活指導の領域にわたる運転免許取得制限校則及びパーマ禁止校則の無効を主張し、加えて、運転免許取得制限校則については学校は校外生活を直接規制できないとして、その無効を主張する。

確かに、運転免許取得制限及びパーマ禁止は、教育的専門事項ではなく、生活指導としての面を有するが、生活指導は生徒の人格の完成に資するものであり、かつ、家庭あるいは地域社会の教育機能が低下している今日においては、学校が家庭等での生活指導の不十分な面を補わざるを得ない面があることも否定できなのであるから、教科教育のみならず生活指導についても、子どもあるいは親の権能を不当に侵害しない限り、学校がそれを行う権限を有するものと解される。

しかも、本件においては、原告及び原告の父親は入学に際し、内容は若干異なるにせよ運転免許の取得が制限されていること及びパーマが禁止されていることを認識していたのであるし、前記のとおり、本件運転免許取得制限校則及びパーマ禁止校則は運転免許取得の自由あるいは髪型決定の自由を不当に制限したものとはいえないから、右各校則が子どもあるいは親の権能を不当に侵害したとは認められず、したがって原告の主張は採用できない。

また、専門的能力の観点からする生活指導の適格性については、生活指導が教育的専門事項ではないことは勿論であるが、学校内の事情に加え、生徒の家庭環境等を含む学校外の教育事情についても専門的な知識と経験を有する学校、教師にその適格性を認めることができる。

原告は、生徒に対する懲戒は、当該行為が生徒集団に対する教育、指導の成立を危うくし、他の生徒の学習権を侵害するような場合及び当該行為を懲戒の対象とすることが本人の利益を確保するために必要な場合にのみ正当化され、後者の場合は何が本人の利益かの判断が困難であるから非強制的な助言指導により目的を達成すべきであるとの理解に立ち、本件運転免許取得制限校則及びパーマ禁止校則に違反することは、他の生徒の権利を侵害するものではないから、懲戒の根拠たり得ないと主張し、また、校則違反を懲戒処分に直結させていること自体が違法である旨主張する。

しかし、懲戒処分及び事実上の懲戒は、学校の内部規律を維持し、教育目的を達成するために認められる自律作用であるから、教育目的を達成するために必要かつ合理的な制約であるなら、右制約に違反したことを理由に懲戒を行うことができるというべきであって、前記のとおり、本件運転免許取得制限校則及びパーマ禁止校則は無効ということはできないのであるから、右各校則に違反することは、懲戒の根拠となり得るものというべきである。

また、いかなる行為によって教育目的の達成が阻害されるかの判断は各学校の判断に委ねられ、学校の規律の弛緩自体がひいては生徒の学習権等を阻害することにつながるとの判断に立って、現実の学習権侵害等が発生する以前の段階において懲戒権を行使することも、同様に一つの選択として是認される。

2  本件勧告の比例原則違反の有無について

(一) 原告の主張

退学処分は、それを受ける生徒にとっては、その学校で教育を受ける機会を一方的に奪われる処分であるから、退学処分が当該生徒の利益になるという理由で行われてはならないし、退学処分が当該生徒に与える被害の重大性を考えるならば、右生徒の行為が他者の利益を侵害する場合でも、退学処分の選択は謙抑的でなければならない。

さらに、学校が行う懲戒はあくまでも当該生徒の成長を援助する教育的懲戒であることが要請されるから、懲戒処分に依拠して他の生徒達に規則内容の遵守自体を強制することは許されない。

したがって、退学処分は、当該生徒につき校則の定める禁止目的達成のための教育的指導ないし監督の努力をしてもその効果がなく、当該生徒に改善の見込みがないために教育上の配慮をしてもなお学外排除もやむを得ず、このような生徒に対して学校が教育を施すことを放棄しても社会通念に反しないと認められる場合に限ってその選択が許される。

そして、生徒の行為と処分との比例原則を判断するに当たっては、当該行為の態様、結果の軽重、本人の性格及び平素の行状、本人の反省態度、改善の見込み、右行為の他の生徒に与える影響、右行為を不問に付した場合の一般的影響等諸般の要素を考慮する必要があり、各要素については以下のように判断されるべきである。

すなわち、退学処分は、性格、行状、反省態度等によってではなく、処分対象たる客観的行為自体が退学処分に値するほど重大なものである場合に限定して検討されるべきであり、そのうえで、性格、行状、反省態度、改善の見込みなどは、むしろ客観的行為は退学に値するものであっても、改善の見込み等があるので退学処分にしないための判断資料とする意味で考察されるべきであるところ、本件においてはその客観的行為が退学に値するものとはいえない軽微なものであるから、本件処分の不当性は明白であり、本人の性格、行状、反省態度、改善の見込み等を検討する必要がない。

本件勧告の主な理由となった行為は、学校に無断で普通自動車の運転免許を取得したこととパーマを掛けたことであるが、運転免許取得については、就職後の仕事の関係で免許が必要となり、また、原告の父親の仕事を手伝う関係で免許が必要であるという合理的必要性があったのであり、原告が自動車を購入したり、自動車に乗り遊び回ったり、事故を起こしたりして他人に迷惑を掛けたことはなかったのである。しかも、この普通自動車の免許取得制限の校則の事前指導は、オートバイの免許取得の場合と比べ不徹底であった。

また、原告の本件パーマは、パーマを掛けた部分が毛先一〇センチメートル位にすぎず、しかも髪を三つ編みにしており、外部からはそれとわからない状態であり、毛を染めていたことなどもなく、他の生徒の学習権を侵害するようなことはなく、学校の秩序や雰囲気を具体的に阻害することもなかった。

他の生徒に与える影響とは、当該生徒の当該問題行動の他の生徒への悪影響の有無であるが、本件原告の行為は、他の生徒の権利を直接侵害するものではなく、原告の行為の影響により他の生徒がパーマ等の校則違反をするようになったという関係にもない。

この点に関し、教育的懲戒、とりわけ退学処分にあっては、あくまでも当該生徒の客観的問題行動につき本人の教育改善の観点からその処分の適否を検討すべきであり、当該生徒を学外に追放するというみせしめによって他の生徒を管理していく発想は、断固退けられなければならない。

また、仮に、みせしめ的な発想に立ったとしても、本件では原告の免許取得についてはその早朝登校により十分他の生徒に対する示しがついていたし、パーマについても目立たないものであったので、せいぜい髪を切って反省させる等で十分他の生徒に対するみせしめとなったはずであるから、重い懲戒処分をする必要は全くなかったというべきである。

不問に付した場合の一般的影響については、当該行為に見合った適切な処分がなされたかどうかが問題とされるべきであり、不公平な処分がされたり、恣意的なお目こぼしがされた場合、他の生徒への悪影響が大きいが、本件において原告に対してされた処分は重きに失し、他の生徒を萎縮させ、教育ではなく管理主義的な状況を生み出す等、むしろ学校による不当な処分が重大な悪影響をもたらす危険性を考慮すべきであった。

なお、現在都内の高校においては、高校生がパーマを掛けることは常識的とさえいえる状況にあり、パーマを禁止している学校でもその違反を理由に懲戒処分にすること自体あり得ず、まして退学処分など絶対にない。

以上に対し、原告は、就職先も内定し、卒業まであと十数日の通学期間を残すのみというところで退学を余儀無くされた。

右のとおり、いかなる角度から検討しても、本件処分は原告の行為に比較して著しく重きに失し、比例原則に違反するものである。

(二) 被告学園の反論

本件勧告は、懲戒処分ではなく、また、懲戒処分に準じるものでもないが、退学勧告を行うに当たっては、生徒の行為の態様、結果の軽重、生徒の性格と平素の行状、他の生徒に与える影響等諸般の事情を教育上配慮するべきである。

本件においては、原告は一年生のときから問題行動を重ね、三年生二学期には校則に違反して普通自動車の運転免許を取得し、今後問題を起こしたら学校に置いておけなくなるかもしれない旨の厳重な注意と警告を受けていたにもかかわらず、その見返りとして命じられた早朝登校も守らず、しかも、再度校則に違反してパーマを掛けて登校し、その指導中に無断下校し、その後、何ら反省することなく大石教諭らに対して、「こんな下っ端と話をしてもしょうがない。」などと暴言を吐いた。

以上の事実を総合して判断すれば、学校は原告に対して十分に教育上の配慮を加えたうえで退学勧告したといえ、本件勧告に違法な点はない。

仮に、本件勧告が懲戒処分の一種だとしても、懲戒処分は、高校の内部規律を維持し、教育目的を達成するために認められる自律作用であって、懲戒権者たる校長が生徒の行為に対し懲戒処分を発動するに当たり、その行為が懲戒に値するものであるかどうか、また、懲戒処分のうちいずれの処分を選択すべきかを決するについては、当該行為の態様、結果の軽重、生徒の性格と平素の行状、右行為の他の生徒に与える影響等諸般の事情を考慮する必要があり、右の判断は、学校内の事情に通暁し直接教育の衝に当たる校長の合理的な裁量に任されている。

本件の事実を総合して判断すれば、学校の原告に対する退学勧告は、社会通念に照らしても合理的であり、何ら裁量権の範囲を逸脱しておらず、違法な点はない。

(三) 裁判所の判断

学校教育法一一条が校長及び教員に許容する懲戒には、施行規則一三条が定める退学、停学、訓告のほか、当該学校に在学する生徒に対し教育目的を達成するための教育作用として、一定の範囲内において法的効果を伴わない事実行為としての懲戒を加えることも含まれるが、本件勧告は事実上の懲戒というべきものである。

事実上の懲戒は、教育施設としての学校の内部規律を維持し、教育目的を達成するための自律作用として、校長及び教員にその行使が認められるのであるが、学校が生徒に対して懲戒措置をとろうとする場合、その行為が懲戒に値するものであるかどうか、また、懲戒措置のうちいずれの措置を選ぶべきかを判断するについては、当該行為の軽重のほか、本人の性格、平素の行状及び反省状況、右行為の他の生徒に与える影響、懲戒措置の本人及び他の生徒に及ぼす訓戒的効果、右行為を不問に付した場合の一般的影響等諸般の要素を考慮するのが相当である。

そして、自主退学勧告は、生徒の身分喪失につながる重大な措置であるから、とりわけ慎重な配慮が要求されるが、その判断に当たっては、学内の事情に通暁し、直接教育の衝に当たる者の合理的な裁量に委ねられるものと解すべきであり、右判断が社会通念上、合理性を欠く場合に限り、右自主退学勧告は違法性を帯びると解される。

この点につき、原告は、退学処分は当該生徒の利益になるという理由で行われてはならず、右生徒の行為が他者の利益を侵害する場合にのみ許され、その場合でも、退学処分が当該生徒に与える被害の重大性にかんがみるならば、退学処分の選択は謙抑的でなければならないとし、退学処分が許容される要件を厳格にすべきであると主張する。

確かに、自主退学勧告が生徒にもたらす不利益は大きく、また、自主退学勧告が当該学校の生徒たる地位を消滅させる自主退学を促すものである以上、教育的効果が低いことは否めない。

しかしながら、学校には、当該生徒の発達、成長を考慮して、その心情を汲み、受容する寛容さが要求されると同時に、社会的な規範、集団的規範を学習させ、遵守することを生徒に求める姿勢が要求されるのであるから、後者の要請から自主退学勧告が正当化される場合もあり得るというべきであるし、さらに、学校という自律的な教育共同体が、その機能を維持するために全体的観点から個人としての生徒の処遇を考慮しなければならない事態も生じうるのであるから、原告の主張は採用できない。

そこで、以下、本件勧告の正当性を根拠付ける各要素について検討する。

(1) パーマ禁止校則違反行為の態様及び結果の軽重等

原告のパーマ禁止校則に違反した行為は、学校の規律を乱すものであり、修徳高校の校風を損なうものがあることは認められるが、学校内において他の生徒に著しく悪影響を及ぼすほどのものではないから、それ自体はそれほど重大視すべき行為であるとはいいがたい。

(2) 原告の平素の行状及び反省状況等

本件勧告を決定する一要素であった本件の免許取得は、それ自体が本人あるいは他の生徒等の生命侵害等に直結するとはいえないとしても、修徳高校は無断の免許取得を重く見て、それに対しては一般的に厳しい態度で臨んでいたのであり、前記のとおり、生徒の生命身体という重要な法益を守る役割をもつ免許取得制限校則には合理性があることも否定できないから、これに違反し、学校に無断で普通自動車の運転免許を取得していたことは処遇上無視できない重大な事情であり、さらに、本件免許取得が学校に発覚した際にも原告は顕著な反省の情を示さず、それに対する事実上の懲戒である早朝登校の期間中に、厳重な注意及び警告を受けていたにもかかわらず、再度校則に違反しパーマを掛けたことは、看過し得ない事情である。

加えて、パーマを掛けていたことが学校に発覚した際、原告は無断で下校し、その際パーマを掛けていた事実を隠蔽しようとしたことが疑われ、その後、学校の教諭らに対し、侮辱的な言辞を弄しており、これらの事実も処遇上無視できない事情ということができる。

なお、原告はパーマの件が発覚した後、髪を切って反省の情を示したと主張するが、既に見たような原告の髪の切り方をもって原告に顕著な反省の情を認めることができないとした学校側の判断は是認し得る。

ちなみに、以上の事実のほか、前記のとおり、原告には一年生のときに問題行動がいくつか認められるが、それらの中には、学校側の対応に冷静さを欠いた面が見受けられる事件もないではなく、本件勧告までの間に約二年間が経過していることをも考えれば、一年生のときの行動を独立の要因として重大視することは妥当でない。

(3) 右行為の他の生徒に与える影響等

原告がパーマを掛けた行為が、免許取得制限校則違反の後に、重ねて校則に違反して行われたものであることにかんがみれば、右行為が他の生徒に右学則の弛緩を印象付けることは避けられないし、それを放置することが他の生徒の校則違反を助長する危険性も否定できない。

以上のとおりであり、とりわけ原告の平素の行状及び反省状況を考慮すると、本件勧告がされた当時卒業まであと十数日を残すのみであり、就職先も内定していた原告にとって、自主退学による不利益が大きいものであることを考慮しても、なお、本件勧告が社会通念上合理性を欠くということはできないから、本件勧告が比例原則に違反するとする原告の主張は採用できない。

なお、原告は、退学処分等の判断に際しては、それを肯定する方向で性格、行状、反省態度等を斟酌すべきではない旨主張するが、自主退学勧告等の決定に際しては、前記のとおり、性格、行状、反省態度等を含めた諸事情を考慮すべきものであるから、原告の主張は採用できない。

また、原告は、都内の他の高校との比較において、本件勧告の不当性を主張するが、本件勧告はパーマを掛けたことだけを理由にされたものではないから、比較の前提を欠き採用できない。

3  本件勧告の平等原則違反の有無について

(一) 原告の主張

修徳高校においては、免許取得やパーマ等と比較した場合はるかに悪質で重大な非行、例えば万引きや定期券偽造といった行為で、少なからぬ生徒が補導されるという事件が生じた際も、全員数日の停学程度の処分であったのであり、それに比べ免許取得やパーマはそれ自体として他者に迷惑や被害を与える行為ではないのであって、これらの校則違反に対し退学勧告がされるという校則の規定や運用自体が、平等原則を逸脱している。

原告のクラスでは半分近くの人がパーマを掛けたことがあり、処分を受けた者が少なくとも一〇名はいるが、原告以外は髪の毛を切らされる等の処分で許されており、特に、三年の夏休みころから外見からみてもすぐわかるようなパーマを掛けていた生徒も、また、パーマと運転免許に関し二回の校則違反が発覚した生徒もいずれも許されて卒業している。

パーマに関しては、それを理由として退学をさせられた者は原告以外には見当たらず、多くは摘発されず放置されていたし、仮に摘発されても髪の毛を切ったり、日付なしの退学願を書かされることで許されていたのであり、このように同一の校則違反についての摘発や処分が恣意的にされることは著しく平等原則に違反する。

(二) 裁判所の判断

学校が生徒に対して懲戒措置をとるに当たり、その措置が不公平なものであっては、かえって生徒の不信感及び反感を招き、その趣旨を達成できないのであるから、懲戒措置は公正、平等に行われることが強く要請される。

しかしながら、生徒の問題行為、規律違反行為に学校がどのように対応するかについての判断は、当該行為の態様、その背景、当該生徒の個性、平素の行状、生活環境等を総合的に考慮しつつ、教育的見地からなされるものであるから、極めて個別的な判断にならざるを得ない。

原告は、パーマ、運転免許取得、定期券改ざん等に対する修徳高校の対応と本件を比較して平等原則違反を主張するが、本件勧告はパーマを掛けたこと、無断運転免許取得以外に各種の事情を考慮してなされたものであるから、本件勧告が平等原則を逸脱しているということはできない。

また、原告と同様にパーマを掛け、運転免許を取得しようとした生徒が卒業した事実は認められるが、右生徒については、学校の指導に対する対応等、原告とは異なる各種の事情を指摘できるのであるから、両者を同一に論ずることはできず、結局、原告の平等原則違反の主張は採用できない。

4  本件勧告の適正手続違反の有無について

(一) 原告の主張

憲法三一条は適正手続の保障を、同法一三条は幸福追求権の具体的内容の一つとして適正な手続的処遇を受ける権利の保障を、同法二六条は教育を受ける権利の保障をそれぞれ規定しており、以上の各規定に照らせば、学校が生徒に対して懲戒処分を加えるに当たっては教育的な適正手続が保障されなければならない。

そして、懲戒処分を加えるに当たっての教育的適正手続としては、処分以前の指導説得、本人又は保護者に対する事前の事情聴取及び弁明の機会の付与、職員会議での審議、本人又は保護者に対する処分理由の告知が必要と解され、加えて、退学処分や退学勧告にあっては生徒の学校における地位を奪い、学校から追放するという重大な処分であることから、右各要件は一層厳格に守られる必要がある。

処分以前の指導説得については、退学処分を決める前に、ありとあらゆる指導方法を検討し、僅かの可能性でもあればそれを実践し、万策尽きたときに退学処分が許されると解される。

本件においては、パーマの件が発覚してから退学勧告に至るまで、原告に対し詳細な事情聴取はされず、また、何が問題にされており、どのように反省し、今後どんなことにつき努力していくべきかの指導は何らなく、さらに、学校は、事前の指導・監督の可能性について何ら検討する姿勢もなく、実際、検討をせず指導もしていないのであるから、この点で、本件処分には重大な教育的適正手続違反があり、明らかに無効である。

事前の事情聴取や処分理由を明確に告知したうえでの弁明の機会の付与は、時間をかけて丁寧に行われるべきであり、学校及び生徒の双方が冷静に自省し今後の可能性を探るにふさわしいものでなければならない。

本件においては、原告に対して、パーマの件について具体的な事情聴取はされず、退学勧告がされる具体的理由は告知されることなく処分の結論が伝えられただけであり、したがって、原告としては何について弁明すれば良いかを認識できず、学校は処分は既成の事実であるとしてとりあわなかったのであるから、原告に弁明の機会が与えられたとはいえない。

原告の記憶によれば、パーマ発覚の五日後には退学勧告がされ、被告学園の主張によればパーマ発覚の翌日に退学勧告がされているのであり、この期間的な短さからして、適正手続として必要な事情聴取、理由の告知、弁明の機会が保障されたとはいえず、この点からも本件処分は違法、無効である。

職員会議での審議は公正かつ慎重にされるべきであり、処分以前の指導・監督の可能性の具体的検討を含め、実質的な審議がされなければならない。

本件において、一回目職員会議はそもそも職員会議があったのかさえ疑わしく、その審議内容は、感覚的、感情的な発言に終始し、原告がパーマを掛けたかどうかの事実確認もせず、その部位・程度、パーマを掛けた動機、原告の心境、今後の指導の余地の有無等が全く不明のまま退学勧告を決定した。

二回目職員会議は、高山校長から慎重に審議するように指示があったにもかかわらず、退学勧告以外の方法の意見はなく、可能な教育的指導の余地を模索する姿勢を全く欠落したまま、短時間の簡単な審議で退学勧告を追認し、この二度目の審議までに原告に対する詳しい事情聴取はされていない。

高山校長は、原告が反省の意味で髪を切った事実を知らず、三回目職員会議において、山田教諭以外は誰も右事実を知らなかったのであり、原告の今後の指導の可能性を示す重要な事実である髪を切った事実が公表されないまま、誤った重大な処分が下された。

仮に、切った長さが短いというのならば、山田教諭がその旨を具体的に指導すべきだったのであり、そのことを山田教諭がしなかったのは教育者として不適切かつ背信的であり正当化され得ない。

以上からすれば、原告が髪を切った事実が正確に検討されていれば、職員会議において退学勧告という結論が変更される可能性があったといえるから、この点で学校は、当然学校側に要求される公正かつ慎重な手続を欠落させていることは明らかであるから、本件処分は無効である。

また、学校は、本件勧告に当たり、原告及びその父親に対し、詐欺を行って退学願を提出させたのであり、このことは教育的適正手続に反し、したがって、本件処分は無効である。

(二) 裁判所の判断

学校が生徒に対し事実上の懲戒措置をとる場合には、生徒の学習権を保障するために、公正な手続によるべきことが要求されると解され、とりわけ本件勧告のように生徒にもたらす不利益が大きい措置をとる場合にはより慎重な手続によることが求められ、自主退学勧告においては、勧告を受ける生徒に対し勧告の理由を認識させ、それに対する弁明の機会を保障することが最小限度必要であると解される。

しかし、自主退学勧告の決定が諸般の要素を勘案してなされる教育的判断である以上、その判断は学校の方針に基づく具体的・自律的判断に委ねざるを得ないのであるから、勧告する以前に説得指導を行うことなどその他の手続要件については、それを欠くことが直ちに当該勧告の違法性をもたらすと解することはできず、当該勧告に至った手続過程全体に合理性が認められない場合に初めて勧告が違法性を帯びると解すべきである。

これを本件についてみると、まず、本件勧告を職員会議で決定する前に、学校が原告に対し指導・説得をした事実はない。

しかし、学校は運転免許取得の件が発覚した際に、原告に対し、今度校則に違反したら学校に置いておけなくなる旨の警告をしているのであり、早朝登校期間中にパーマの件が発覚し、その際原告が無断下校していることを考えれば、学校が、指導・説得の余地なしと判断したことが不当であるとはいえず、本件勧告直前に指導・説得がなかったことをもって手続に不当な点があったということはできない。

原告は、学校が事前の指導・説得を行わず、また、指導・改善の可能性を検討しなかった点について教育的適正手続違反があると主張する。

しかし、前記のとおり、指導・説得を行うか否かの判断は、学校が教育的観点から行う具体的・自律的判断であるから、学校に裁量が認められるのであって、学則等に特に定めがない限り、学校が事前の指導・説得を行うことが法的義務であるとまではいえず、したがって、原告の主張は採用できない。

次に、本件勧告を職員会議で決定する前に、学校が原告に対し、明示的に勧告の理由を告知し、弁明の機会を与えた事実は認められない。

しかし、勧告の理由については、原告及びその父親と大石、門井及び山田各教諭が面談した際、原告が水で髪を濡らし、パーマを掛けていることが明白になった直後に本件勧告がされたのであるから、原告及びその父親はパーマを掛けたことが本件勧告の理由になっていたことを当然認識していたものと考えられるし、既に運転免許取得の件に際し学校から警告を受け、また、原告はパーマを掛けていることが発覚した際に早朝登校期間中であったから退学になると危惧したというのであるから、原告は運転免許取得の件及び早朝登校期間中の事件であったことも勧告の理由になっていたことを当然認識していたものと推測される。

また、弁明の機会については、教諭らが無断下校の理由を原告らに質問しており、原告らはこれに答えなかったが、その際パーマを掛けたことの正当性等について弁明することはできたし、その後、二回目職員会議が開かれ、審議がし直され、そのあと、原告とその父親は、山田教諭及び学校長に面談して再度職員会議を開くよう要請し、実際その後三回目職員会議が開催されているのであるから、弁明の機会はあったものということができる。

以上のとおり、原告は少なくとも勧告の理由について主たる理由を認識していたということができるし、三回目職員会議までの全体を通じてみれば原告に弁明する機会も保障されていたといえる。一回目職員会議で本件勧告を決定する前に、原告に対して勧告理由が明示されず、また、弁明の機会が与えられなかった点で学校側の対応が慎重さを欠いたことは否めないが、全体としてみれば、手続に不当な点があったとまではいえない。

職員会議の審議については、三回の職員会議を通じて、女子部の職員は全員参加しており、一回目職員会議では、本件勧告をするに当たって、パーマの件及び運転免許取得の件を初めとする諸事情が考慮され、全員一致で自主退学勧告を決定した。

本件では職員会議が三回行われ、そこでは、勧告の理由が特定されたうえで検討課題とされ、各職員がそれに対して意見表明することはできたと考えられるから、結果として、本件勧告を回避する方向の意見が出ず、会議が短時間で終了することがあったとしても、それは、各職員の自主的な判断の結果であるといわざるを得ず、各職員会議の審議が不適切であったとはいえない。

原告は、三回目職員会議の際に、原告が反省の意味で髪を切ったことが会議で報告されなかったのは、公正かつ慎重な手続を欠いたものであると主張する。

しかし、前記認定のとおり、原告が髪を切ったのは、本件勧告後約一週間経過してからであり、かつ、その長さも肩くらいまでにとどまったのであるから、三回目職員会議において本件勧告を再検討する際に右事実が重要な事情となり得たとは考えがたいし、また、女子部職員の大部分は、三回目職員会議が始まる前に山田教諭から右事実を聞いて知っていたのであるから、山田教諭が職員会議で右事実を報告したとしても結論が変更される余地はなかったと予想されるのであり、したがって、原告の主張は採用できない。

なお、本件勧告を行うに当たり、学校が原告及びその父親に対して詐欺を行った事実は認められない。

以上、本件勧告の決定手続を全体として評価した場合、右手続過程に格別非難すべき点は認められず、本件勧告が適正手続に違反するとはいえない。

以上のとおり、本件勧告は、実体的に学校の裁量権の範囲を逸脱したものということができないばかりでなく、手続的にも違法ということはできない。

四原告の自主退学の意思表示の効力について

1  原告の主張

原告及びその父親は、本件勧告を受けて以後、一貫してこれを拒絶し、その撤回を要請していたのであり、当時、原告らに自主退学をする意思はなかった。

退学勧告と退学処分は全く異なる手続であり、退学勧告を受け入れなかったからといって当然に退学処分になるわけではないが、本件勧告がされた当時、大石教諭は右事実を秘し、本件勧告を受け入れて自主退学をしない場合は退学処分となることがすでに決まっているかのように原告らを誤信させ、錯誤に陥らせた。

また、本件勧告がされた際、大石教諭は、原告らに対し、もし自主退学しなければ学籍簿が処分され高校一年生及び二年生の学歴がふいになる旨告げ、退学処分の不利益性を誇張して説明した。

さらに、原告は山田教諭に対して厚い信頼を寄せていたので、三回目職員会議の結果を知った際には、同教諭が三回目職員会議において原告が髪を切って反省の意を示したことを報告し、そのうえで再度真剣な検討がされたにもかかわらず、結論が変わらなかったと考えた。

以上のように、原告は、自主退学か退学処分かという二者択一を迫られたからこそ、退学処分の不利益性と相まって、また、山田教諭の努力があったにもかかわらず結論が変わらなかったという諦めもあり、やむなく自主退学することを決意したのである。

したがって、原告は、学校側の欺罔行為に基づき重大な動機の錯誤に陥って本件退学願を提出したのであるから、右退学の意思表示は無効であり、また、原告は、昭和六三年三月一七日付け文書をもって右退学の意思表示を取り消す旨の意思表示をした。

よって、原告の退学の意思表示は無効であり、原告が修徳高校の生徒たる地位を有していることは明らかである。

2  裁判所の判断

前に見たところから明らかなように、大石教諭が、原告らに対し、自主退学をしない場合は退学処分となることがすでに決まっているかのように誤信させ、自主退学しない場合は学籍簿を処分し、一年生及び二年生の学歴をふいにする旨告げた事実は認められない。

山田教諭が、原告が髪を切ったことを三回目職員会議で正式に報告しなかった事実は認められるが、前記のとおり、女子部職員の大部分は三回目職員会議が始まる前に原告が髪を切ったことを知っており、かつ、原告が髪を切ったこと自体は本件勧告を決定するに際してこれを阻止できるほどの重要性を持たなかったと評価できるのであるから、この点について、原告に要素の錯誤があったとは評価できない。

したがって、学校に詐欺行為があったということはできず、また、自主退学の意思表示に錯誤があったということもできないから、原告の主張は採用できない。

五卒業認定請求権の成否について

1  原告の主張

原告は、三年生三学期の定期考査を受験できなかったが、これは学校の違法な本件勧告が原因であるから、それを卒業認定を否定する根拠とすることは許されず、仮に考慮するとしても、修徳高校では年間を通した成績の総合的な評価で卒業認定がされるなど柔軟な扱いがされており、原告の退学時までの成績は四九名のクラス中二二番ないし四〇番であるから、成績面での問題はない。

また、特別活動において、原告には問題視さるべき事実はなく、むしろ原告の華道部における評点の高さ、欠席率の低さからすれば、特別活動は積極的に評価されるべきである。

さらに、教科教育指導の一態様である単位不認定と生活指導領域において侵害原理に基づいて発動される懲戒とは異なるものであるから、卒業認定に際し素行を考慮することは許されないのであり、仮に、学校が指摘する原告の問題行動があったとしても、それらは極めて軽微なものであり、卒業認定に影響を及ぼすものではない。

したがって、原告は、修徳高校の卒業認定要件を全て充足しているので、被告学園に対し、卒業認定及び卒業証書の授与を求める。

2  裁判所の判断

前記のとおり、本件勧告には違法性が認められず、原告の自主退学の意思表示は有効というべきであるから、原告、被告学園間の在学関係は消滅しており、卒業認定請求権及び卒業証書授与請求権の成否についてはいずれも検討する必要がない。

六原告の損害の有無について

1  原告の主張

高卒と中卒あるいは高校中退では、社会的評価及び本人の意識に大きな違いがあり、原告は、今後就職、結婚その他あらゆる面で様々な不利益を被ることが予想される。

現実に、原告は本件退学願提出後、内定していた就職先から採用を撤回され、その際、他に重大な非行があるのではないかと邪推されたりした。

また、原告の両親の心労も大きく、特に原告の父親の心労は重大である。

このような事態は、本来信頼すべき教師が嘘の説明をして原告及びその父親を騙して退学願を提出させたことに起因するのであって、以上のような原告の精神的苦痛を慰謝するための慰謝料額は莫大なものになるが、一部請求として一〇〇万円の支払いを求める。

2  裁判所の判断

前記のとおり、本件勧告には違法性が認められないから、原告の損害は検討する必要がない。

第五結語

右のとおり、本件勧告に違法性は認められず、また、原告の退学の意思表示に錯誤等はなく有効であるから、原告、被告学園間の在学関係は、原告提出の退学願が被告学園に受理されたことによって確定的に消滅したのであり、したがって、右在学関係の存続を前提とする第一事件の主位的請求である卒業認定請求、卒業証書交付請求及び予備的請求である生徒の地位確認請求はいずれも理由がなく、さらに、本件勧告に違法性は認められないから、第一事件の損害賠償請求も理由がない。

また、第二事件は、被告学校長に当事者適格が認められず、したがって不適法である。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官石垣君雄 裁判官木村元昭 裁判官古谷恭一郎)

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